社会福祉法人思恩会

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思恩会のあゆみ思恩会の生い立ちと歴史についてご紹介します。

思恩会の生い立ち

1929年(昭和4年)、財団法人日本育児院(現社会福祉法人日本児童育成園)の分院として、七窪思恩園が創設されました。鶴岡市湯野浜出身で創設者である五十嵐喜廣が、そこで初代園長となり育児、養老事業を行ったことが現在の思恩会のはじまりです。
その後、第二次世界大戦に端を発する厳しい時代をかいくぐり、紆余曲折を経て社会の移り変わりと共に地域との絆を深めながら、現在の社会福祉法人の姿に発展してきました。
思恩会は、創設者五十嵐喜廣の理念と精神性を受け継ぎ、「愛の精神」と「思恩の心(親・師・社会・自然の恩)」に基づき、社会福祉向上のための使命と役割を担い続けています。

思恩会の沿革

年代  
1929(昭 4)5.20 財団法人日本育児院の七窪分院として五十嵐喜廣が設立し、初代園長となって、育児、養老事業を開始する
1933(昭 8) 8.1 救護法の施行により、財団法人日本育児院七窪分院から独立して七窪思恩園と改称し、その全事業を継承する
1946(昭21)10.1 県有財産を無償で借受け、七窪思恩園湯野浜分園を設立・生活保護法による収容保護施設として認可を受け養老事業をなす
1948(昭23) 4.1 児童福祉法による養護施設七窪思恩園として認可される
12.21 七窪思恩園が全国優良社会事業施設として天皇陛下より特別御下賜金を受ける
1950(昭25) 8.1 財団法人七窪思恩園となり認可を受ける
11.26 七窪思恩園協力会発足
1952(昭27)5.17 社会福祉法人思恩会に組織変更し、児童ホームを養護施設七窪思恩園、老人ホームを養老施設湯野浜思恩園と改称する
1958(昭33)2.15 養老施設湯野浜思恩園を国有地を借用し、新築移転する(定員80名)
1963(昭38) 8.1 老人福祉法の施行により養護老人ホーム湯野浜思恩園と改称する
1966(昭41)11.1 思恩会後援会発足
1969(昭44)4.16 七窪思恩園協力会と思恩会後援会が思恩会協力後援会として統合(現思恩会後援会)
1970(昭45)11.30 湯野浜思恩園食堂、霊安室、静養室、娯楽室の増築工事及び納骨堂の新築工事竣工
1971(昭46)12.12 昭和43年11月2日、地域の将棋愛好家により設立された湯野浜土曜会が地域交流を目的として湯野浜思恩園で月例の将棋大会開始
1973(昭48)3.26 七窪思恩園舎全面改築工事竣工(定員63名)
4.29 湯野浜思恩園が全国優良社会事業施設として天皇陛下より特別御下賜金を受ける
1975(昭50)10.1 社会福祉法人思恩会の養護事業に対する貢献と地域社会の福祉の増進に寄与した功績により鶴岡市長より表彰を受ける
1976(昭51)3.20 七窪思恩園児童学習室並びに指導室兼卒園者宿泊室の増築工事竣工
1978(昭53) 3.4 特別養護老人ホームしおん荘新築工事竣工(定員50名)
4.1 しおん荘事業開始、しおん荘診療所開設
12.21 湯野浜思恩園舎移転、全面改築工事竣工
1979(昭54) 2.1 湯野浜思恩園新園舎に移転(定員50名)
1980(昭55) 7.1 しおん荘短期保護事業(ショートステイ)受け入れ開始(2床)
12.15 しおん荘で、全国に先駆け在宅高齢者の入浴サービス事業を独自で開始(以後制度化されデイ・ホーム事業となる)
1981(昭56)3.30 七窪思恩園、湯野浜思恩園、しおん荘が、開かれた施設を目指し、施設の社会化活動に積極的に取り組み地域福祉の発展に寄与することを期待し、NHK放送文化事業団より奨励賞を受ける
1983(昭58) 4.1 しおん荘増築工事竣工により定員80名に増員
5.1 県内に先駆け介護型ホームヘルパー派遣事業開始(しおん荘)
5.25 しおん荘短期保護棟(ショートステイ)床新築工事竣工
10.1 日本生命財団より、思恩会として取り組む「高齢者もこどもも安心して暮せる地域づくり推進事業」に三年間助成を受ける
1996(平 8)3.25 湯野浜思恩園舎大規模修繕工事竣工
4.1 地域の障害者に対して食事提供サービス事業開始(しおん荘、湯野浜思恩園)
5.29 地域の高齢者世帯に対し配食サービス事業開始(三施設)
6.7 湯野浜思恩園認可設立五十周年、園舎大規模修繕工事完成記念式典
10.25 七窪思恩園大規模修繕工事竣工
11.28 思恩会広報「ふれあい」発行開始
1998(平10)1.15 湯野浜思恩園集会室、霊安室、理容室等全面改修工事竣工
4.1 児童福祉法の改正(平成年月日)により、七窪思恩園が児童養護施設となる しおん荘在宅介護支援センター新設、全国に先駆けショートステイの身体障害者相互利用事業開始
1999(平11)10.1 介護保険法に基づく指定居宅サービス事業者指定居宅介護支援事業者の指定を受ける
2000(平12) 4.1 介護保険法施行によりしおん荘が「指定介護老人福祉施設」として県知事より指定を受ける
2001(平13)1.26 思恩会苦情解決第三者委員会設置
2003(平15)3.25 しおん荘大規模修繕拡張改築工事竣工
4.1 しおん荘身体障害者ショート相互利用が支援費制度での指定を受け新制度での事業開始
2003(平15)10.1 しおん荘ショート定員変更により11床となる。
11.5 湯野浜温泉源泉組合との分湯契約により温泉入浴開始(湯野浜思恩園、しおん荘)
2005(平17) 2.1 湯野浜思恩園診療所開設
3.2 物故者(入居者・役職員)供養の為、納骨堂(みたまや)を移転し「慈愛の塔」を建立、納骨と入魂式挙行
12.1 七窪思恩園改築・シオン創設工事竣工
2006(平18) 4.1 七窪思恩園に県内初、児童家庭支援センター「シオン」開設
しおん荘身体障害者指定短期入所事業所が障害者自立支援法による指定となる
10.1 老人福祉法の改正により、湯野浜思恩園が特定施設の指定を受け、訪問介護事業所と外部サービス利用型特定施設の運営開始
2007(平19)2.23 しおん荘が県内第1号として「山形県福祉サービス第三者評価」受審
5.31 湯野浜思恩園大規模修繕増改築工事竣工
2008(平20)11.15 思恩会ホームページ開設
11.18 思恩会創立80周年記念式典
湯野浜思恩園・しおん荘外壁改修工事竣工
2011(平23) 3.10 思恩会福祉プラザ建設工事竣工
2011(平23) 4. 1 思恩会福祉プラザにて小規模多機能型居宅介護事業所多機能ゆのはま事業開始
思恩会福祉プラザに、しおん荘在宅介護支援センターが移転
思恩会福祉プラザに、しおん荘ホームヘルパーセンターが移転
2012(平24) 4. 1 思恩会福祉プラザに、しおん荘地域包括支援センターが開設
しおん荘在宅介護支援センターがしおん荘居宅介護支援事業所に名称変更
2012(平24) 4.11 思恩会83年の歴史と先駆的な取組みが評価され石井十次賞受賞(七窪思恩園)
2013(平25) 3.11 しおん荘が東日本大震災被災者支援の功績により厚生労働大臣より感謝状を受ける
2013(平25) 9. 5 鶴岡市と「福祉避難所」の指定を受け協定締結(しおん荘)
2014(平26)11.20 鶴岡市と「福祉避難所」の指定を受け協定締結(湯野浜思恩園)
2015(平27) 4.1 小規模多機能型居宅介護事業所 多機能かも事業開始
(地域交流カフェ・まちなか福祉相談所併設)
2015(平27) 4.17 思恩会創立85周年記念「多機能かも」竣工式典・祝賀会開催
2015(平27)12.23 しおん荘が全国優良社会事業施設として天皇陛下より特別御下賜金を拝受する
2019(平31) 4.1 ・地域小規模児童養護施設ひなた 事業開始
・しおん荘地域包括支援センターが鶴岡西地域包括支援センターに名称変更、鶴岡市友江町2-18に事務所を移転する
2022(令3) 3.22 思恩会高齢者福祉施設建設工事着工
2022(令3)11.1 鶴岡市馬町字枇杷川原23番地内に思恩会福祉ヴィレッジ開設
・養護老人ホーム湯野浜思恩園を移転新築、名称を養護老人ホーム思恩園とし、定員50名を定員30名に変更
・ユニット型地域密着型特別養護老人ホーム思恩を開設する。定員20名
・しおん荘ホームヘルパーセンターを移転しホームヘルパーセンターしおんに名称変更
・鶴岡西地域包括支援センター移転
2023(令4) 4.1 地域小規模児童養護施設あやめ事業開始

創始者・五十嵐喜廣翁

思恩会の創始者五十嵐喜廣は石井十次と共に基督教主義の社会事業家として、また山形県の生んだ最も優れた児童福祉の先駆者として知られています。
五十嵐喜廣は、明治28年に岐阜県古川町に「飛騨育児院」を創設しました。明治20年代に社会福祉と地域、福祉施設と地域諸団体、職員・入居者と地域住民の協力・連携を常とする福祉事業の新しい理念や処遇のあり方等、現代に通ずる理念と実践のあり方を追求した先駆者でもありました。
日本が資本主義国家としてまだ十分に安定していない時代に国内8ヶ所、海外5ヶ所に児童養護施設を展開したその足跡とスケールの大きさは他に例がなく、社会福祉事業の先覚者として高く評価されています。
(公益の種を蒔いた人びと:小松隆二著(東北公益文科大学前学長)東北出版企画刊行に詳細) 七窪思恩園を創設した五十嵐喜廣は、その施設運営資金の確保と地元の農業殖産のために、七窪一滞の庄内砂丘地でのメロン栽培を切り開いたことでも有名です。

五十嵐喜廣翁の足跡

年代 年齢 年譜 日本の流れ 世界の流れ
1872(明5) 0 歳 5/21湯野浜温泉恵比寿屋の三男として出生
幼名=岩太郎
新橋・横浜間鉄道開通
恤救規則1874
無告の窮民、人民相互の情誼
劣等処遇の原則
慈善組織協会(COS)
英1870 米1877
1885(明18) 14 歳 無断家出→東京遊学 新潟に北越学館設立1887
教頭:内村鑑三→後任に松村介石
教授:成瀬仁藏等
トインビーホール1884
ネイバーフッド・ギルド=セッツルメント1886
ビスマルク(独)=アメ(福祉)とムチ(政策)
1888(明21) 17 歳 私立荘内中学校入学
1889(明22) 18 歳 新潟北越学館入学、教頭松村介石の学僕となる(成瀬仁藏・内村鑑三等教鞭) ハルハウス=セッツルメント(j.アダムズ)1889
1891(明24) 20 歳 脚気で北越学館中退、帰郷
1892(明25) 21 歳 加茂尋常高等小学校教員拝命、翌年3月退職 北越学館廃校1893
1894(明27) 23 歳 向う5年間の約束で東京遊学、岐阜県飛騨国でキリスト教の伝道従事
飛騨船津町の路傍にて富山県生まれの幼児1名拾う
1895(明28) 24 歳 岐阜県古川町の素封家本田六三郎氏より家屋を無償貸与、飛騨育児院を創立、7名の孤児を収容
1896(明29) 25 歳 岐阜市に移転、濃飛育児院と改称、大水害により20余名の不具児童収容
1897(明30) 26 歳 愛知県豊橋市に分院創設(東海育児院)、後独立
1898(明31) 27 歳 東京市芝区に支部設置、後廃止
1901(明34) 30 歳 社会事業啓蒙のため幻燈と音楽隊を組織、13年間日本全国を巡回講演 小川慈次郎、社会事業協会起こす1900
方面委員制度→民生委員制度
1905(明38) 34 歳 北米合衆国に於ける宗教と社会事業の研修視察を為す 日露戦争勃発1904
1906(明39) 35 歳 伊藤博文公より「日本育児院」と命名せられ、評議員会の議を経て改称
1907(明40) 36 歳 京都府丹波国に農業本位の分院創設、後に「丹波育児院」として独立
1908(明41) 37 歳 財団法人組織とする 第1回感化事業講習会
1909(明42) 38 歳 大垣市に分院創設、後廃止
1910(明43) 39 歳 北海道十勝国に農業本意の分院「北星園」を創設、後独立
1911(明44) 40 歳 甲府市に山梨分院創設 「工場法」1916
1913(大2) 42 歳 朝鮮光州に農業本位の分院創設、昭和20年廃止 「軍事救護法」1917 M.リッチモンド(ケースワークの母)1917
1921(大10) 50 歳 欧米各国の社会事業研究視察の為出発、大正13年帰朝 社会事業成立期1920
1923(大12) 52 歳 米国加州モンタラーに分院創設、後に「聖愛社」として独立 「少年法」1922 「恩給法」1923 マザーテレサ1910〜1997
1929(昭4) 58 歳 七窪に分院創設、昭和8年「七窪思恩園」として独立(開設後10年間電線なくランプ生活) 「救護法」(s4) 一応国の救済事務 世界大恐慌(米)1929
1930(昭5) 59 歳 台湾支部創設、後廃止
1932(昭7) 61 歳 荘内砂丘研究会組織、会長に就任(現県立農事試験場砂丘試験地の前身)
1933(昭8) 62 歳 岐阜県私設社会事業協会を組織し常務理事に選任
1934(昭9) 63 歳 七窪思恩園に児童相談所開設
社会事業研究の為渡米、カナダ社会事業大会出席、メキシコでの児童保護大会出席
社会保障法(米)1935
1936(昭11) 65 歳 国際社会事業協会日本国内委員に推薦
1937(昭12) 66 歳 湯野浜に定期託児所開設 日中戦争勃発1937
1941(昭16) 70 歳 樺太支部設立 太平洋戦争勃発1941 ベバリッジ報告(英)1942
1944(昭19) 73 歳 七窪思恩園にて執務中、五十嵐喜廣急逝 終戦・占領期1945

大正10〜13年頃エジプトカイロにて

昭和20年代「ララ物資」によるクリスマスパーティー

明治29年頃 濃飛育児院(岐阜市)

事業展開図