砂丘開発地の恩人

庄内砂丘はわが国有数のメロン産地として知られているが、メロンの品種育成においても長い歴史を持った地域である。庄内砂丘におけるメロン栽培は、昭和4年に五十嵐喜廣が社会事業の研究施設のため渡米した際、カリフォルニア州でメロン栽培を見聞し、これが当時不毛とされていた庄内砂丘の農家を救う作物であると考えて、帰国時に数品種の種を持ち帰ったことに始まる。

以下は「社会事業の先覚者五十嵐喜廣翁」昭和59年思恩会発行より

五十嵐は、元来非常に事業癖があり、奇抜な着眼力を有していたが、殊に農村問題や農業振興には関心を持ち、アメリカやメキシコに行った時も、メロンとアスパラガスの栽培地を視察して、栽培法を研究してきたのである。

五十嵐は、昭和4年2月、七窪に分院設立を計画するや、荒漠たる砂丘の開発に着眼し、七窪一帯にメロンの露地栽培を考えた。

同砂丘地帯が極めて降雨少なく、空気比較的乾燥し、紫外線に富み日照よろしく、夏期高温なるに鑑み、たまたま数次の北米旅行に於いて、カリフォルニヤに於けるメロン栽培の実際を見て、路地メロンが砂丘地園芸作物としてきわめて有望なるを認め、種子を取り寄せ自ら研究すること多年、栽培に成功するに及んで附近の農家に指導栽培せしめ、生産者を統合して、昭和6年9月12日七窪メロン研究会を組織して会長に就任。栽培技術の研究、生産並びに販売の統制、販路の拡張に当った。県当局は、之が実績を認めて委託試験地に指定するに至った。

昭和9年7月には会員185名に達し、栽培反別約20町歩に同地裁倍のメロンは、概して米国からの直輸入の品種で、温室メロンより遥かに廉価で且つ優良で、芳香と甘味とを具備して多量のヴィタミンを含有し、滋養強壮果物として珍重されるに至った。

昭和6年以来、七窪原を中心とする砂丘地に、アスパラガス、トマト、メロン、洋梨、葡萄等西洋蔬菜並びに果物の栽培激増し、殊にメロン露地栽培に好適地なる事が確認されたので、七窪メロン研究会では、昭和7年9月10日メロンを主体とする蔬菜果樹の培養指導機関県立農事試験場を砂丘地内に設置するよう請願書を五十嵐会長以下各部署の会員212名連署の上、県当局に提出し、五十嵐会長県知事に陳情したので、県当局に於いても現地について調査検分の結果、その必要を認め、昭和11年に県立農事試験場砂丘試験地として発足し、茲に多年の懸案が解決を見、地方農民の受ける恩恵と利益は多大なるものであった。

昭和16年よりは、食糧自給の要請に従い、主として甘藷・馬鈴薯の原種圃経営に主力を注がれた。昭和25年8月31日より県立農業試験場砂丘分場と改称した。

これ一重に五十嵐院長の率先指導奔走の結果で、関係部落民の深く彼を徳としている所以である。